物理や数学と英語

 英語は国数英などと呼称され、高校教育の主要科目になっています。大学入試でも必ず英語の試験が課せられます。他の科目などと比較しての比重の妥当性はともかくとして、英語を学ぶことの重要性、特に物理や数学などの自然科学を学ぶこととの関連について考えてみましょう。

 自然科学は自然法則から導き出される学問の体系だから、基本的に国や地域に依存するものではありません。この地球上のどこでも成立するという普遍性をもっています。一方、社会科学や人文科学というものは社会や人々の営みを説明する法則性や客観的な知見を探求します。したがって、これらは世界に共通する普遍性とともに国、地域、民族などといった現実社会の有り様に依存せざるをえません。

 自然科学のこのような性質によって、これを記述する言語は世界的に通用する言語であることが望ましいし、そのような言語のみで済ませることができます。同じ事を表現するのに、様々な言語であるより、単一の言語の方が、多くの人々が知見を交流させ共有化できるというわけです。

 目下そのような自然科学の知見を共有するための言語としての地位を獲得したのが英語です。私が知る限り、自然科学分野の国際的な論文や学会発表などは全て英語が用いられています。恐らく今後も英語のこのような地位が揺らぐことはないと思われます。その理由はいくつかあります。

1)20世紀初頭から、特に第一次世界大戦後から米国が自然科学や技術の研究開発において世界をリードする成果を出し続けた。

2)第二次世界大戦前後から米国が政治経済をリードする超大国となり、多くの国際舞台で英語が最も使用される言語となった。

3)19世紀末にピークに達し、第二次世界大戦前後まで続いた大英帝国の植民地に英語が普及し、多くの国で母語以外の第二言語としての地位を獲得した。

4)26文字のアルファベットの組み合わせで言語が表現され、私の知る限り他の言語に比較して文法が簡易であり、記号言語的な性質が強い。そのため、コンピュータやインターネットなどの今後ますます多用される情報通信分野での使用に適性が高い。

5)米国が世界の多くの人々に門戸を開き、彼らが夢を実現することを通じて、多くの先端分野で世界をリードする成果を出し続ける可能性がある。

 4)について付言するならば、情報社会で必須の世界共通のプログラム言語をできるだけ理解しやすい自然言語に近い形にする場合、記号語的な英語が最も適性が高いように思えます。大学の第二外国語でロシア語、第三でフランス語とドイツ語をほんの少々かじった私の乏しい語学経験からする比較に過ぎませんが。表意文字を用いる中国語や日本語は文学的芸術的用途には良いかも知れないが、プログラム言語のような論理表現用途には適性が低いように思います。

 グローバル化が進む今日の世界で、多くの人々がコミュニケーションをとることが必要であり、そのために共通言語が必要です。それが英語という特定の国々の母語であることに異論を唱える人々もいるようです。エスペラントという人工言語が考案され、これを世界共通言語とすべきだという理想論とその運動を支持する人々もいます。これらを勘案してもなお英語の世界共通言語としての重要性は、自然科学分野においても、増すことはあれ、減ることはないと思います。

 2008年のノーベル物理学賞を受賞した益川敏英さんは、英語が嫌いで、英語を話さず書かずの学究生活を続け、授賞式が初めての海外出張だったという話しは有名になりました。彼のような一流の物理学者なら、これで十分やっていけると思うし、信念(好み?)を貫いたことは素晴らしいと思います。しかし、彼といえども、英語を読むということは決しておろそかにしていないと思います。なぜなら、世界の必要な情報を入手しなければ、その先を行く研究をできないからです。

 物理学や数学などの表現は論理的なものだから、いかなる言語であろうとも言語表現は単純で分かり易いものになります。しかし日本語は明快かつ論理的というより曖昧かつ情緒的な表現になり易いため、自然科学系の論文の読み書きが面倒になる場合が多いのです。一方英語は論理的な表現に向いており、ある程度慣れれば、英語論文の読み書きの方が、日本語よりもずっと容易だということになります。これは、私が英語論文を読み書きすることの多かった30歳代の頃の経験です。

 だから、将来理系をめざす皆さんには、しっかり英語を学んでほしいと思います。インターネットの発達によって、国内に滞在していても、メールや音声通信ソフトによって海外の人々と簡単に交流できます。パソコンに向かって苦もなく英語でメールを書いたり、話したりしている若い研究者、技術者を見ると、グローバル化の象徴のように思え、素晴らしくも羨ましくも感じています。

 

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