数学を学ぶ高校生へ

 私は数学の専門家ではないが、長年、技術者として数を扱わなかった時はありませんでした。ただし数とはいっても数学とは限りません。扱うことが最も多かったのが、研究開発の過程の実験で取得したデータの数字およびそれを処理した数字でした。処理といっても、四則演算と初歩的統計演算(平均、標準偏差など)が最も多かったと思います。今から40年ほど前、私が20歳代の新進の技術者だった頃、処理する道具は何と計算尺でした。電卓はあったが、高額で机半分ほど占有するので、とても実験データの処理には使えませんでした。

 その後、半導体と液晶表示の進歩とともに電卓の小型化が急速に進み、胸ポケットに入るようになりました。研究室の技術者たちは争うように電卓を買い求め、ちょっと自慢げに最新機種を見せびらかしたものでした。当時、メーカー間の電卓競争は凄まじいもので、最新機種の寿命は1月もなかったような気がします。

 そんな電卓も、1990年代以降は研究開発現場での主要なデータ処理の役割をパソコンの表計算ソフトに譲りました。表計算ソフトによればデータの入力から処理に加えグラフ化までを一気に実行できます。処理のために多彩な演算機能も用意されています。

 数学はといえば、現象の予測(シミュレーション)、実験結果の解析が主な用途で、微分積分、フーリエ変換、ベクトル解析、級数展開、確率統計などの数学の初歩的な応用であったと思います。多くの変数を変化させたときの現象の具体的な振る舞いを見るためには数値解析が必要です。解析的に解けない場合には、コンピュータの数値解析プログラムを作成して、数値計算を行いました。

 このように、40年にわたる技術者、研究者生活を振り返ると、数学の専門家ではありませんでしたが、数学は絶えず身近にあって、利用する道具であったといえます。道具とはいっても決して高級なものではなく、数学という学問からいえば、ごく初歩的なものでした。

 このような状況は案外多くの技術者に当てはまるのではないかと思います。だから、数学の専門家ではない私が、長い数学利用の経験を振り返えりつつ、数学について論じてみることは、岡目八目の言葉もあるように、少しは役に立つこともあるでしょう。

1)数学とはどんな学問か

 私のように数学を少々勉強したに過ぎない者から見ても、数学という学問が豊かな広がりをもっていることに驚きます。物理や化学のように自然とその現象のような豊富な対象が存在しているわけではありません。数という単純なものから、実に多くの数学の分野が誕生しています。人の想像力と創造力には感嘆します。

 私なりに数学という学問を一言でいうならば、数量や空間に潜む法則や公理を明らかにして、それを基礎として、数量や空間に関わる因果関係の道筋を明らかにし、定理や公式を導く学問ということにります。ある数量が既知としたとき、別の数量を知りたいとすれば、数量と数量の関係、すなわち関数を考えることになります。ところが数量と数量を関係付ける関数は無数にあるので、まずは具体的な関数とは別に一般的に関数を考察して、どのような原理原則があるのかを考えます。そこから連続や無限の概念が必要になってきます。

 共通な特徴を有する数どうしを集めると数のいろいろな集合ができます。集合どうしの関係を考えることによって集合論のような数学が生まれてきます。集合に対していろいろな演算を行うことによって、また新たな数学が生まれてきます。こんなふうに、数の世界からどんどん数学が膨らんでいきます。

 私たちが目にする世界は3次元の空間です。私たちは1次元、2次元の世界は視覚的に理解することができます。そのような空間にある図形に潜む定理や公式を導くのが幾何です。円や多角形の性質など中学校で勉強しました。だが、次元がnと一般化されるような抽象的な幾何になると、門外漢の私などには殆ど分からない世界となります。ここではベクトルや行列などが数量表現に使用され、空間の様々な変化とそれに伴う数量変化をこれらによって表現します。n次元で一般的に扱われれば、それらを1〜3次元の世界で扱うことは容易になってきます。

 古代において自然現象や事物とそれらの因果関係を数量的に扱うという実際的な場面において数学は発展してきました。古代エジプトでは太陽や星の動きやピラミッドなどの構造物の設計の計算などによる幾何の発展がその例です。またニュートンなどが運動の解析をするために微分や積分を考案したことも同様です。

 こうした数学の成果の上に、やがて現実世界とは別に数学者の頭脳から数学という学問が創造されることになりました。王侯貴族がパトロンとなって天才的な数学者を庇護し、彼らが抽象的な数学を紡ぎ出すことを奨励しました。このようなパトロンによる庇護は数学ばかりでなく多くの学問や芸術に見られたことです。彼らが天才たちの創造した数学を理解したかはともかく、高尚な趣味や教養だったと思われます。

 しかし、数学者たちの創造した数学は実際的な課題の究明の道具として利用されることとなりました。物理学でも書いたように現実の問題解決に驚くほどに適用されたのです。数学者たちは現実的な応用を意識したわけではないのに。物理学者たちの中には、数学が極めて得意な人たちがいて、新しい課題に新しい数学方法を適用することにより、成功を納めることがありました。

 こうした実用的な多くの成功事例から純粋な数学といえども、いずれは科学技術に役立つという認識が普通になってきました。最近では伊藤清の確率微分方程式が金融工学の基礎となったことが例としてあげられます(金融工学の功罪は別として)。

2)何のために数学を学ぶのか

 数学は面白いと思う子供たちがいます。数学オリンピックに出るような高校生はそうでしょう。実は私もそうでした。高校までは。だから数学の受験勉強を苦痛と思うことは殆どありませんでした。だが受験数学は数学ではないと大学の数学で知ってから、数学の難しさに辟易として、面白さに加え苦痛をも感じるようになりました。

 面白さは分かる喜びに基づきます。脳の中にたっぷり汗をかいて、分からないことを知ることを喜びとする子供たちは多くはないが存在するのです。大学で数学を学んで、そのような喜びをなお感じることができるならば、ぜひ数学を専門的に学ぶことを勧めます。そして可能なら数学を中心とした職業を選択すると良いと思います。

 だが数学が高校教育の主要科目となっているのは、そのような少数の子供たちのためだけではありません。多くの子供たちのために数学が必要だと、国家的に考えているからです。なぜなら自然現象であろうが人為的な事象であろうが、日常生活のあらゆる場面の事象を数量的に把握し、数量的に因果関係を説明することが、現在の社会では不可欠な活動であるからにほかありません。

 お金に関していえば買い物等での四則演算はもちろんとして、給与や税金の計算、預金や借金の利息の計算、年金や保険の計算など、さまざまな場面でお金の計算が必要です。ここでの数学といえばせいぜい指数や対数ぐらいまでですが、これらを扱うには、しっかりとした数学の勉強が必要です。

 技術的な職業はもちろんのこと、いかなる職業であっても少なくも中学校までの数学のしっかりとした理解は必要です。営業職であれば顧客に製品の仕様や性能を数量的に説明すること、製品価格、販売数量、値引き、利益などを迅速に算出することなどの数学的能力は欠かせません。

 不動産業であれば土地や建物の面積や価格の算出、運輸業であれば荷物の重量・運送距離・価格などの算出等々、いかなる職業であっても数学的能力は欠かせないことは明らかです。

 近年、技術的職業でなくとも高い数学的能力が必要とされているのが学問分野でいえば経済学であり、銀行、保険、証券といった金融産業分野です。経済学では経済的指標は数字であり、それを左右するさまざまな因子との関係を明らかにするためには多変数の関数を扱う必要があります。また多数のものごとの振る舞いを理解し説明するためには、平均、分散、相関といった統計量を扱う統計学が必要になります。金融業では景気や人口などの将来を予測してさまざまな営業政策を立案する必要があり、統計に加え確率の考え方が重要になります。

 このように生活人としても職業人としても、程度の高低は別として、数学的能力は大いに必要とされることは明らかです。しかも数量は万人万国共通であり、数学はものごとを数量的に把握し理解するための万人万国共通の数量言語という役割をもつともいえるでしょう。

 3)数学はどのように役立ってきたか

 数学が役に立つ場面は物理学の研究や技術開発を通じての場合が一番多いことでしょう。物理学で数学がどのように役立ってきたかについては「物理を勉強しようとする高校生へ 6)物理と数学」で述べました。数学は物理現象を説明する際の言語であるといえるほどに、物理学にとって必須の道具でした。

 一方、多くの技術開発においても数学は必須の道具です。技術開発では目標や予測(仮説)の設定を行います。これらの設定を導出するモデルとモデルを表現する数式を構築する必要があります。そして数式を解析的に解いたり、あるいは数値計算によって目標や予測を数量的に表現するのです。

  その上で、モデルに基づく実物を試作し、目標や予測通りの性能や動作が実現されるかを確認します。試作結果が予測通りでなかった場合には、モデルとその表現である数式を再構築し、同様の計算を行い、試作結果と一致すれば、モデルと表現数式が正しいものとみなします。以後、前提条件が同様であれば、試作の設計的な変数を変えるつど、このモデルによって目標や予測の設定が可能となります。

 もちろん数学が役に立つのは理系の学問分野や製造業など技術系の分野だけではありません。社会や経済に関わる現象や制度などの多くは定量的に解析、計画、実施、評価されなければなりません。

4)理系と数学

 大学の理系の学部(理学部、工学部、農学部、薬学部、医学部など)で学ぶためには、少なくも高校レベルの数学が必要であることはいうまでもありません。したがって大学入試で数学が課せられるのは当然です。

 大学で学ぶ学問分野によって必要な数学のレベルは当然に異なります。数学を専門に学ぶ数学科はもちろんのこととして、理学部の物理系学科(物理学科、地球物理学科、天文物理学科など)や情報科学系学科などでは、高度の数学を学ぶ必要があります。ただし分野に応じて、重要とされる数学分野は異なります。

 工学部では機械工学系学科、土木建築工学系学科、物理工学系学科、電子電気工学系学科、情報通信工学系学科、数理工学系学科などは微分積分、各種の積分変換、行列や写像、などの数学を学ぶ必要があります。学科によってはさらに高度の数学を駆使する必要もあります。

 化学工学系学科、材料工学系学科、金属工学系学科などでは、上記の学科ほどには数学を必要とはしないでしょう。しかしさらに細分化されたいくつかの専門分野では高度の数学を必要とすることもあるでしょう。

  理系の全ての学部で必要となるのは、確率統計数学です。これは、データの処理において、不可欠だからです。多数の要素を含む集合の特性を表現するには、統計的な考え方が不可欠です。また、ものごとを確定的に表現できなくとも、ある確からしさで推定するためにも確率統計は重要です。この推定という行為は工学上非常に重要で、わが国が世界に冠たる高品質の製品を生産することができるのも、確率統計数学に基づく推定の考え方が基盤にあってのことです。

 さらに理系の全ての学部に共通する技術としてコンピュータによる情報処理があります。分野によって濃淡はあっても、情報処理が学問や関連技術の研究開発に果たす役割はますます大きくなっています。学問における情報処理技術の活用は大きくは三分さるでしょう。一つはシミュレーション(現実をコンピュータによって模擬的に実現し、結果を予測する)、二つはデータ等の解析による事実の究明、三つは研究効率化の道具(ワープロ、表計算、設計支援など)です。

 シミュレーションや解析では既存のソフトウェアでは間に合わない場合は、自分で開発しなければなりません。プログラムを自分で作成するのです。研究とは未知の探求ですから、プログラムを自分で作成する場合が多くなります。数式の変数に数値を代入して、具体的な数値の結果を求めることができるようにすることがプログラムですから、数学的な能力を大いに必要とします。

 私が高校生であった半世紀近く前は、数学科を卒業した学生は数学者になるか数学教師になるかしかない、などと揶揄され、就職先が心配だとされていました。ところが、1970年代以降のコンピュータの発展と情報処理の需要の増大により、プログラマーやSE(system engineer)などの職業に優秀な多くの人材が必要とされ、数学を勉強した学生を始め理系の学生たちがそうした職業に従事するようになりました。もはや数学科の学生が就職の心配をする時代ではなくなりました。加えて金融、保険、証券といった産業分野では確率統計だけでなくOR(operation research)などの数学的手法が大いに必要とされ、数学系学科(理学部の数学科だけでなく工学部の数理工学系など)の出身者が活躍しています。

 以上において高度とは高校数学よりも高度ということであって、決して数学研究の先端レベルを指すものではありません。大学の教養課程で習う数学から工学部の応用数学レベルを指しています。

5)文系と数学

 それでは大学の文系の学部(法学部、経済学部、文学部、芸術学部、教育学部など)などで学ぶことと数学はどのように関わるでしょうか。またこれらの学部の出身者が就くであろう職業に数学はどのように関わるでしょうか。

 文系学部をめざす高校生で、数学は絶対嫌いだ、という生徒がいるでしょう。確かにそうなら、数学を嫌いで構わないと思います。そして、数学を避けて通っても構わないでしょう(もちろん、高校で必要な数学の単位は必ずとること。そうでなければ、高校は卒業できないから)。しかし、文系の学部で数学が不要だということでも、数学が役に立たないということでもありません。数学を良く理解できることが、良かったと思う経験をすることもあれば、数学が苦手で損をしたという経験をすることもあるでしょう。数学なんて、全く無用だったという思いで一生を送る人もあるでしょう。それぞれの人生があります。しかしここでは、文系の学生にも数学は非常に有用だということを説明したいと思います。

 経済学の先生方の多くは数学のできる学生を期待しています。経済学で扱う経済現象は数学の対象であり、現象の因果関係の解明や予測に数学が多用されていることは前述の通りです。

 法学部は社会の制度を設計する法律に関わる学問を学びます。近年、法が対象とする社会的な領域には技術的な分野が非常に多くなっています。従って数字を扱うことは頻繁にあるが、数学としては四則演算のレベルです。しかし、弁護士等の法律実務家が製造業などの法律問題を扱う場合には技術的数学的な考え方が欠かせなくなるでしょう。

 文学部といえども数学が多用される分野があります。心理学では人の脳の働きなどを解明理解することが必要となります。すると、医学や生理学などの理系分野に限りなく接近する学問分野が存在します。また言語などは数量的あるいは技術的扱いの対象になることはワープロやインターネット検索などの技術が示す通りです。

 芸術といえども数学と無縁というわけではありません。芸術作品は多くの人々に感動や喜びを与えます。芸術の本質は人々の五感に訴え、感動を呼び起こす情報であるという見方もできます。情報ということは情報処理技術の対象となります。多くの小説、音楽、絵画などがデジタル化されて、コンピュータやネットワークによって蓄積流通していることは良く知られているところです。さらにCG(コンピュータグラフィックス)の技術が新たな画像・映像芸術の世界を創出しました。CGによる映像製作には物理現象の数式表現からプログラミングという一連の理数的過程が必要なのです。

 文系の学部の出身者の職業として多いのは営業職です。企業の製品やサービスを顧客に説明し、注文を頂くのが営業の仕事です。製品やサービスは多くの場合、技術的な産物ですから、営業職といえども技術について精通し、数量的に説明しなければならなくなります。だから数学的な能力は当然必要とされます。

 コンピュータの発展は文系学部の教員の研究内容にも大きな影響を与えています。経済学でコンピュータ利用は当然として、社会学や心理学などにおいても、コンピュータプログラムによるシミュレーション(予測あるいは仮想実験)が多用されます。市販のソフトウェアを利用する場合も多いだろうが、独自にプログラム開発が必要になる場合など、数学を駆使しなければなりません。

 コンピュータ利用のためのプログラマーやSEといった職業は、理科系の職業と思われがちだが、必ずしもそうではありません。コンピュータ利用といっても、高度に技術的な分野から経理のような事務的分野まで多様です。製造業を始めとする技術的分野では、理科系出身者が必要だが、金融、証券、保険、出版、メディアなどの分野では文系出身者も大いに力を発揮します。プログラマーやSEという職業が発祥した1970年代には、理系出身者の確保が困難なこともあって、多くの文系出身者がこれらの職業に従事しました。

 こうした職業では、数学の果たす役割は、分野に応じて濃淡があります。しかし、プログラム作成は非常に論理的な作業であり、数学的な能力や感覚が大いに期待されます。コンピュータによる情報処理技術の発展は学問においても職業においても、文系理系の壁を低くし、両者に共通的な領域を拡大しました。

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